円頓寺商店街
- いとう 邸
- 2022年2月14日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年2月18日
学生の頃は塞ぎ込んでいることが多かった。
極度の人見知りもあった。ダウンダウンに憧れた若手みたいにかなりトガッていて、他人とつるまずに過ごすことが良いという間違った信念を抱いてた。
それのせいか19の頃から本ばっかり読んで暮らす生活だった。今ではかなり後悔してる。もっと器用にやれてればよかったなと思う。そのときはイケイケどんどんって形で気づかないのだからしょうがない。
ただ仏様か?守護霊さまの救いなのか?その中でも気の合った友達が唯一いて、その人と自分とは田舎育ちで同じ苗字だった。独自のこだわりを持っていて、好きなものを自分の価値観で選んでるのがわかる感じのいい人だった。不思議だな、って思う子もいたが、自分はとても良いな、と思っていた。
その人はカメラが好きで、自分はCDとレコード集めにハマっていた。
その人とぶらぶら遊びに行っていたのが円頓寺商店街だった。大学から歩いていけるっていうのもあったからかもしれない。名古屋駅から歩いて20分程のところで、今でこそ新しくなって活気がありいろんな店も増えて賑わっているけれど、当時はもっと閑散としていた。店もところどころ閉じていたし、少しだけ開拓されるという兆しが見えた準備しかけの店が1つ2つあったぐらいだった。
なぜかそういう所に場末感を感じる美味しい店があって、ぶらっと入って就活や旅行の話を聞いていたのも良い思い出だ。(今ではたくさんの飲み屋や食べ物屋も出来ている)。自分たちは時間がありすぎるけど何がしたいのかわからない、ととんかつを食べながら話した記憶がある。その時はただただ働きたくなかった。
いやいやいや起業でも何でもいいからお金貯まるまで働きなさい、と今になっては言えるのだけれど。当時はただただ甘えてただけな気がする。

最近よく思うのは散策は何歳になっても楽しい、という事。歩くだけで好奇心が駆り立てられるし、わくわくする。昔ながらの古い佇まいの骨董品屋や何で生計を立てているのか不思議になるようなブティック。
引っ越しや新しい土地へ旅したときなんかはぶらぶらまわりを歩くのが日課だったりする。雑誌の特集を見るだけでけっこう気分も変わるし、だいぶ楽しい。
散策中にレコード屋に行って、そこからどんどんのめり込んだのもこの時期かも知れない。
今の円頓寺商店街は音楽祭や古本市など定期的に催しがされている。最近のイベントはご時世で中止されてたりするけれどコロナが治ったら、また出かけていきたいな、と思っている。
懐かしい気分にさせてくれる所は数えたら案外少ないような気がする。そういう想い出はふとしたときに思い出したりするから好きだ。
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